【書評】脳はなぜ「心」を作ったのか

幸せについて

脳はなぜ「心」を作ったのか?

「心」の在り処と意識の認識、ロボットに「心」を付与できるかということを考察した仮説について言及した本。
・・・って書くと、なんか「仮説」がアンチっぽく見えるけど、まぁ本書の中でも「仮説」なので、それはまぁご愛嬌。特にアンチとしての文章ではないです(笑)

2回そこそこ集中して読んで、やっとわかる。

いやー、とにかく専門用語が多い(笑)おそらく自分のせいだけれど、一回読んだだけだと概要と主訴しかはいってこなくて、他の部分が全部ぼんやりだった(笑)
じっくり2回目を読んで、さらにおさらいで3回目も読みました。2回目を回ったあたりでだいぶ整理されてきて、言っていることがしっかり腑に落ちる感じ。

基本的には「心」の玄人向けの本だと思う。

まず、この本はいろいろな人のAmazonレビューからあるように、ある程度この界隈の本や研究とかをいろいろな角度から知見を得てきた人向けに思える。

本書は「心」ということを題材にしている。けれど、おそらく本書から入ると、とてもいろいろなことがすっ飛ばされて、理解できても大切な部分が伝わらない気がするので、「心」のことが知りたい人が最初に読むべき本ではないと思う(笑)

敢えて例えるならば「人を殺しちゃいけない」とだけ書いてあって、
「何故平和に生きるべきか」「平和に生きる方法」がほぼ書いていない、のような感じ(主観)。まぁただ、この本自体が平和についたり道徳についたり心の在り方についたり書いてある本として書かれているわけではないので、別に作者の前野先生からしてみれば良くも悪くも思わぬ波及なのかもしれない。

また、本書に出てくる考え方を何の知識もない人が見たら、おそらく違和感がたくさんあると思う。心理的な本やら宗教的な話やら、そういった前知識があってはじめて「そういう一説もあるのか」と許容し、読後に「これは一説として自分の中にストックしておく価値がある」と思えるんだと思う。

(Amazonのレビューもこのレベルに起因するんじゃないかなぁ、と邪推している(笑)

今までの心の仕組み・あり方に一石を投じる「心の地動説」

概要的には、今まで様々な角度から研究されてきた人の「心」≒「意識」。ほとんどの研究者が言っている「人の意識」の考え方は「意識」自分の身に起きているすべての動作・フィードバックは「意識」が何処かで統合して司っているが、その方法が解明できていない、という説。対して本書はその考え方は根本から違っていて、実は今まで生きてきた中で培われてきた『それぞれの独立して、各自の処理をこなすモジュール』が処理した事象を、受動的に受け取って、あたかも「能動的」に採択したと「錯覚」している、と説いている。
考え方的には大乗仏教などで語られる阿頼耶識(ガンダム 鉄血のオルフェンスのいう阿頼耶識システム、ではない)と共通するところもあり、仮説としてはかなり面白い。そして、実証されるべき時が来たら、実証される気がする。

小びとの例えは分かりづらい人が多いかもしれない

おそらく多くの人にわかりやすくするために、文中の例えで、脳内の『それぞれの独立して、各自の処理をこなすモジュール』のことを「小びと」と称しているのだけれど、これが分かりづらいと感じると一読で理解するのの高いハードルに変わる(笑)
僕はものすごく文系畑だけれど、「心」について機械的・システム的に捉えようとしているのに、「小びと」という有機的で、またあたかも「一つ一つが意思を持つ」と言うイメージを持ちそうな単語を持ってこられると、脳内が混乱して何を軸にしていいのか解らなくなる(笑)ので、もしこれから読もうと思っている人には「小びと」という言葉に違和感を感じたら「脳内に使用されているモジュール」と置き換えて、更にその周辺単語も置き換えて読んでほしい。おそらく格段に読みやすくなる。

心の機微が解っていない人には危険・・・?

さて、最初にも書いた「心」のあり方としての本としては入門書ではない、という話に戻るのだけれど、そもそも「心について」で分類したらおそらくメインストリームじゃない。
今までに出てきている本と比べたらその延長線上や枝葉の内容ではないし、そもそも解釈後が異を唱える内容であってその中身をどうこういう話ではない。本の中でも「天動説と地動説くらい違う」と書いてあるだけだし。

ガンダムで言うならターンAだし、デビルマンで言えばTV版と漫画版くらい違う。

この本を「心のしくみ」としての本だと解釈して読んでしまうと、道徳心がないと結局自分を無碍に扱う結果になりそうだからかなりおすすめできない。
究極の他責につながる結論がそこにはある。・・・といっても、正確には「他」責も「自」責もなくて云わば「人」責になるんだろうけど(笑)
ただし、沢山の<私>がなんのために存在して、どこにたどり着くために人類が設計されたのか・・・的な話になるなら、おそらく「この本を読んで、自暴自棄になったり、悪いことに手を染めだす」というのもプランのうちだろうから、まぁいいか、って話になるんですが←

見地としてはとても面白く、人生に取り入れるべき仮説

といったわけで、僕本人としてはとても面白く、しっかり語るために短期間に3回も読んでしまうほど興味深かった(笑)今まで考えてきたことと相反することももちろんあるし、取り入れるべきところもたくさんあって楽しい。意識が受動だとするなら、果たしてどうして生きていくべきなのか。考えさせられることも多々あるけれど、他の知見も取り入れて真理(というものがあるなら)に近づいていきたいと思う。やー、久々にかなり頭を使って読んだ本でした。ありがとうございました。

おまけ

作者の前野先生は、心のあり方だったり生き方については他の書籍で沢山書かれているので、本書だけでそれを判断するのは早計。まずは他の本も読んでから考えたらいいと思う。

おまけ2

そこら辺にあふれているスピ系の話とも親和性がある。と思う。まぁ≒阿頼耶識って話になるんだろうけど、宇宙理論とか引き寄せの法則とかそこら辺のベースとも話が合いやすい。畑が違うところで散々そう言われてるんだからある一つの真実なのかもしれない。また、本書の仮説が本当だとするなら、人の意識は受動的で、且つ特に意味をなさない物、とまとめられるわけだけれど、ではその意味を成さないものである僕らは何処に向かって生きていくべきだろうか、という見地の話も聞いてみたい。前野先生は幸福学の第一人者であり、「人は幸せに生きるべきだ」と提唱されているのだけれど、「意識の受動仮説」から「幸福学」へのつながりをまだ聞いたことがないので、ぜひ何処かで聞きたい。

おそらく人類の叡智を結集するためにその<私>の集積になるんだろうけれど、
さて、そこは「人類」なのか「ミトコンドリア」なのか「腸内細菌」なのか「何らかを超越した魂」なのかもしかしたこのシステム自体がもっと大きな「個」を完成させるシステムで、その先にはもっと多くの「個」とコミュニティが存在するのか・・・一晩では語り尽くせないネタがわんさかあるからこれは何処かで誰かと語りたいなぁ(笑)

ではでは、また他の書評やらワークで!
ms-gkでした!

ciao!

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