大きい怪我や病気になると、幸せになれない?
はいどうもどうもどう。今晩もms-gkです。今日のお題目は、「大きい怪我や病気になると、幸せになれないか」です。
誰だって、大病を患ったり、大きな怪我をすることを想像すると、「自分にとってはあまり良くないこと」だと認識することが多いと思いますが、それはあなたにとって「不幸」でしょうか。ms-gkは「運のいいこと」に、まだ大病を患ったことはありませんし、右の鎖骨と右左の手首くらいしか折ったことがありません。さて、それを「幸運」だとするか「不幸」だとするか、という定義ですが、それは・・・とりあえずおいておきましょう(笑)あなたなら、どうですか?もしあなたが大病を患っていたり、怪我を経験した人であったら、あなたは今不幸でしょうか。それ以上の怪我や病気をしたら不幸でしょうか。このページではそんな観点で「幸せ」を切り取っていきたいと思います。
面白い研究
想像してみてください。あなたはたまたま宝くじを買い、運よく当選発表も忘れずに確認しました。(これ結構大事ですよね(笑)すると、とても幸運なことに、3億円が当たっていました!!すごいハッピーですね!はい。その時から一年が経過します。さてあなたはどんな気持ちでしょうか。
もう一つ想像してみてください。あなたは楽しい旅行の最中、交通事故にあいました。とても大きな事故で、なんと不運なことにあなたは下半身不随になってしまいました。リハビリも考えるとなんとも言えない状況です。その時から一年が経過します。さて、今度のあなたはどんな気持ちでしょうか。どうですか?最初に想像したあなたと次に想像したあなたでは、どれだけ幸福感に差異があったでしょうか。どんな気持ちだったでしょうか。
実は、とある機関がした研究で、宝くじに当たった人と、半身が不随になってしまった人の一年後の幸福度を尋ねてみました。すると、どうだったと思いますか?そう、大方の人が捻くれて予想をしたとおり、なんと、感じている幸福度に大差はなかったのです。怪我をして半身を失っても、宝くじにあたってお金を手に入れても、その一年後にはだいたい同じ幸福度、幸せの感じ方だったということです。
事象にはあくまで、一時的な感情しか伴わない
その研究から言えることは、良い事象であろうが悪い事象であろうが、一時的な感情は発生しても、継続的な幸せ、不幸とは関連性が薄い、ということです。お金を稼いだ人で言うなら、お金をいくら稼いでも不幸な人はいますし、体がいくら不自由になっても幸せな人はいます。つまり、何度もいいますが、その事象に対して感情を付与するのは自分ですし、その認知をするのも自分です。自分の世界の中でどう価値観を持ってどうその体験を評価するのかはあなたの自由です。つまり、どんな境遇にあろうが、どんな事が起きようが、あなたの捉え方次第であなたは幸せであれるわけです。
健常者にそれを語れる権利はあるのか
もちろんms-gkは最初に言った以上の怪我はしたことがないので、継続的に生活に支障をきたしたことはないですし、大病を患ったこともないので、そっち方面に不具合が出た気分も理解できるわけではありません。ですが、「なんだ、経験者でもないお前が何を語れるっていうんだ」と言われる筋合いは特にないと思っています。「幸せなあり方」に気づいているけれど、怪我をしていない人と、「幸せなあり方」に気づいていないけれど怪我をしている人を考えたら、両者が取らなければならない行動は決まっていると思いませんか?もし、大病や怪我を患って、それから回復してからしかそれを語れないなら、そんなことを語れるのはサイヤ人か聖闘士くらいなもんです←
結局は、「あなたの世界」で「あなたがどう感じるか」
つまりはそういうことです。与えられた状況、境遇で、いかに自分と向き合い、自分の幸せと向き合い、それを好循環として自己成長につなげていけるか。それがあなたがあなたの世界で幸せになれる唯一の方法であり、「幸せ」になる最短ルートです。病気になろうが、怪我をしようが、それを「自分に必要なことだった」と受け止め、成長につなげていけるかどうか。それが、あなたの人生の「幸せ」を左右する指標です。
この先の未来
例えば怪我や病気だけでなく「パートナーに恵まれない」「子供を授からない」「両親を継続して介護しなければならない」「離婚することになった」などもすべて同様だとms-gkは考えています。ms-gk本人自体も、この先どれくらいのことにめぐりあうかわかりませんが、自分で自分の感情をコントロールして、可能な限り楽しく生きていきたいと考えています。やー、どんなことがあっても幸せに転じられるなら、それはもう最強です(笑)もしどこかでくじけていたら、慰めてあげてください(笑)では、また気が向いたら他のページや他のワークで。ms-gkでした!
ciao!